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輝く群馬、日本へ。
やすたか通信vol.6 発行しました


Message
私の想い

「どんな日本を描いていくか」
これからの世代として、
この大きな挑戦に正面から
ぶつかっていきたいと思っています。

誰がやっても同じ
よく聞くこの声を真摯に受け止めた上で、
私は皆さんに
「こいつは何かやりそうだ、何か変えそうだ」と
期待して頂ける政治家になり、
そしてその期待に
行動で応えていきたいと考えています。

日本は平和で経済的にも豊かです。
戦後の焼け野原から
日本をここまで引っ張って下さった
先輩方に感謝してもしきれません。
しかし時代は刻々と変化し、
いま日本を取り巻く環境は
非常に厳しい状況です。

群馬では医療、農業、中小企業環境、
また日本全体で見ても
少子高齢化、地域衰退や安全保障等々、
問題は山積しています。

だからといって不安を抱く必要はなく、
未来はいくらでも変えられます。
それを変えるのは我々1人1人。
国民こそが日本の未来を作っていく主人公。

私はその皆さんの声や想いの代弁者として、
若さというエネルギーを持って、
明るい日本の未来のために
挑んでいきたいと考えています。

昨日より今日、
今日より明日が良くなっていく。
そんな実感を持てる日本を、
皆さんと共に描いていきたいです。

中曽根康隆


Profile
プロフィール

中曽根 康隆 なかそね やすたか

【住所】
前橋市在住
【生年月日】
1982年1月19日
【家族】
 妻・子2人(双子) 
【血液型】
O型
【趣味】
読書・ゴルフ・映画鑑賞
【好きな言葉】
自我作古:前人未到の分野を開拓していく、という勇気と使命感を示しています。
【好きな食べ物】
カレー: 週5日でも飽きません! 福神漬けは大盛りで!
【経歴】
慶應義塾大学法学部法律学科 卒業
米国コロンビア大学大学院国際関係学修士号 取得
JPモルガン証券株式会社
参議院議員 中曽根弘文 前橋事務所秘書

Episode
エピソード

幼稚園

幼稚園

幼稚園

  • シャイだけど友達と仲良く遊ぶことは好きだった。
  • 当時好きなものはボールを使った球技全般。あとはアンパンマン。
  • 幼稚園が好きで毎日楽しみにしていた。同じマンションに住んでいた、今でも仲が良い幼馴染と毎日一緒に通っていた。
  • 毎年年末年始に家族で群馬の温泉に行っていた。子供ながら伊香保の温泉街の雰囲気が好きだった。
  • 意志が強く頑固だが、みんなから愛されているちょっと危なかしい弟、息子、孫。(親戚談)
  • 体は小さかった方だけど、体が大きい奴にも勇敢に立ち向かっていくような子。結構ずる賢くして生意気な方だったかも!? (幼馴染談)

小学校

小学校

小学校

  • 手塚治虫の「青いブリンク」というアニメがお気に入り。
    妹と一緒に「セーラームーン」や「ひみつのアッコちゃん」も見ていた。
  • 小学校の先生は、親以外の他人で初めて人となりを教えてくれた人生の師。
    卒業の時に「大器晩成」という言葉をもらい、今でもそれを覚えている。
  • 初恋は4年生。相手は同じクラスの子。
    両思いと信じていたけど、恥ずかしくて自分から決定的な押しをせずに、結局何もなく。笑顔が可愛くて、シャイなところが可愛かった。相手も自分のことを意識してたと信じたい…。
  • 仕事が忙しかった父はあまり家にいなかったが、一回だけ箱根ロマンスカーで2人旅をした。初めての親子二人旅でとても楽しかった。
  • 野球カードを集めたり、ベーゴマやメンコなどで友達と一緒に遊んでいた。
  • 2年生から地元のサッカークラブに入っていて、サッカーを極めたいと思っていた。ポジションは右のミッドフィルダー。
  • 野球も好きで5年生から野球部に入った。右投げ右打ち、ポジションはサード。
  • 巨人ファン。全選手の応援歌をテープで繰り返し聴きながら覚えるのが趣味だった。
  • 岡崎選手の背番号5番のユニフォームをパジャマにして寝ていた。一番好きだったのは川相選手。野球は見るのもやるのも守備が好きだった。
  • 習い事としては3年から中学までクラシックピアノを習っていた。
    また小学校のブラスバンドではトランペットを吹いていた。

中学校

中学校

中学校

  • サッカー部に所属。土日の練習の際には、吉野家の牛丼特盛りを買って学校に着いてから食べ、それから部活に臨むのが楽しかった。
  • 中学時代は部活に全てを注いでいたのであまり勉強に対する意欲がなく、全体的に成績も普通だった。
  • 女の子と一緒にいると緊張するので共学がイヤで男子校に入ったが、入学三日目で後悔した…。
  • 小室哲哉さんの全盛期で、安室奈美恵さん、華原朋美さん、trf なども好きだった。
  • 愚かしく知ったかぶりをするも、すぐバレる。素直さが魅力。(友人談)

高校

高校

高校

  • ゴルフ部に入部。中学生の頃に家族でゴルフに行った際、親におだてられたのが嬉しくて勘違いし、才能があると思い込んでいた。
  • 毎晩8-9時まで練習場で球を打ち続けていた。とにかく部室が薄暗くて汚くて嫌だったが、練習すればするほどスコアが伸びていくので、ゴルフに没頭した。その時のスコアは80ぐらい。
  • 友達と他校の文化祭に行くのがとても楽しかった。シャイだったので女の子に声などをかけることはできず、友達に行ってもらっていた。
  • カール・ルイス選手が国際室内陸上競技大会で前橋に来た時、生の走りを見て感動。
  • 分け隔てなく、誰も特別扱いしない。食ってかからず、ひねくれてものを見ず、素直に全て受け止めてから咀嚼するタイプ。その頃から話が上手い。(友人談)

アメリカ留学

アメリカ留学

アメリカ留学

  • 高校2年生の時に1年間、アメリカのダラスに留学。
    英語が苦手だったこと、外から日本を見てみたいと思ったことから、英語が全く喋れない状態でアメリカに突撃。ホームステイを始めた。
  • 日本人が1人もいない男子中高一貫学校に通う。他の人から相手にしてもらえず正直キツかった。また授業内容も殆ど分からなかった。質問したいと思っても、何と聞けばよいか分からない。頑張って聞いてみても通じないという状況だった。
  • 自己表現、自己主張の必要性を感じた。
  • ゴルフとボウリングサークル、そしてマーチングバンドに入る。みんなと交流をはかろうと頑張った。
  • 帰国後、授業内容が理解できるというありがたみをとても感じた。
    先生の言っていることが分かるということが嬉しくて、授業を真面目に受けるようになり、成績も飛躍的に伸びた。

大学

大学

大学

  • ゴルフ部に入部。学ランを着て4時20分の始発で学校に向かい、6時から9時まで走り込みと500球の打ち込みトレーニングをしてから授業を受ける毎日。
  • 厳しいトレーニングで40人いた新入生が一週間後たったの8人になってしまった。残った8人は一生の仲間。
  • 4年生の時には副将としてチームを牽引し、リーグ戦では春秋連続優勝を実現できたことは、とても良い思い出。ベストスコアは66。
  • 学問として学べるものがあると法律学部を選び、国際政治のゼミに入った。ハーバード大学ジョセフ・ナイ教授の「アメリカへの警告」という本の”ソフトパワー”という概念が印象的で、日本の”ソフトパワー”戦略に興味を持った。
  • 仲間たちとみなかみのキャニオニングやバーベキューを楽しみ、群馬みなかみの自然の美しさに心癒された。
  • 20歳を過ぎてから父の選挙を手伝いはじめた。大学の授業後に新幹線で東京から群馬に向かい、大勢の方の前で「父をお願いします」と応援演説を続けた。
  • 地元群馬の人達がどれほどの想いで父を支えてくれているかを目の当たりにした。
    「この人達のお陰で祖父、父があり、今の自分があるんだ」と強く認識し、「自分も群馬の皆さんに恩返しができないか」と思うようになった。
  • ゴルフ部の先輩から電話かかかってくると、上下関係をしっかり弁えて話す。(友人談)
  • ゴルフではこちらが下手でも一緒に優しくボール探してくれる。ゴルフをしているときはいつも冷静。必ず周りを見てる。(友人談)

大学院

大学院

大学院

  • 高校の時の留学が中途半端だったため、英語を勉強するのではなく英語を使って勉強し、もっと日本を外から見てみたいと思っていた。就職活動を途中でやめ、コロンビア大学に進学した。
    国際関係や公共政策が強いカリキュラムと、人種のるつぼであるニューヨークという場所に惹かれての決断。
  • ネズミが出るような築100年のボロボロな寮で、中国、コロンビア、レバノン、そして日本の4ヶ国、計6人の男女共同生活をスタート。
  • 信じられないような宿題の量で、毎晩枕を持って図書館に行き勉強していた。
  • クラスメートは社会人経験がある人ばかりで、学部卒は自分だけ。社会経験をシェアできる彼らと違い、25歳という若さの自分は差し出すものが何もなかった。その分、他国の生徒にどうインパクトを与えるか、日本をどうやってアピールするかを常に考えていた。
  • 日本文化の発信をしようと、みんなに浴衣を着てもらいニューヨーク中を歩いたり、カラオケボックスに連れて行ったり、日本食レストランを貸し切って鍋パーティーやったりと様々な企画を実行した。
  • 日本人はシャイというイメージを打ち砕いて、アウトゴーイングでリーダーシップがあるところを見せようとしていた。お調子者のようなタイプに見られていたと思う。昔じゃ全く考えられなかった。
  • 日本の政治や経済、文化を他国の生徒に学んでもらうことを目的とした「Japan Trip」という研修ツアーを企画し、18カ国40人の生徒が参加。大学毎年恒例のイベントとして定着し、現在まで8年連続で行われているというのは嬉しいこと。

社会人

社会人

社会人

  • 金融に苦手意識を持っており、20代のうちに克服したいと思っていた。どんな仕事をするにせよ、経済やお金の流れを知っておいた方が良いと考え、金融機関を選んだ。
  • JPモルガン証券に入社し、債券営業本部の金融法人担当に。先輩や後輩と共に数字に追いかけられながら仕事をしていた。
  • いつクビを切られるかわからない、厳しい世界。成果を出さなきゃいけないというプレッシャーを乗り越えるといった忍耐力は、今でも活きていると感じる。
  • 先輩や後輩は常に隣の席同士で仕事も夜に飲みに行くのもいつも一緒。今も定期的に仲の良い4人で集まっている。恐ろしく頭の切れる人たちだった。
  • 金融に対する知識欲を埋めている充実感や、苦手なことを克服している実感があった一方、自分にしかできない仕事は何かと考えるようになった。
  • 祖父・父がお世話になってきた群馬に対する感謝や恩返し、育った環境による政治への興味、また日本の行く末を憂う一人の若者として、政治の世界に挑戦することを決意。
  • 「秘書になりたい」と父に伝えたが、「そんな甘いものじゃない」と却下された。中曽根という名前で政治の世界に入ることがどれだけ大変か、父は分かっていたからだったと思う。母は内面は応援してくれたと思うが、あまり口に出さなかった。
  • 自分の中では政治家になる決意を固めていたが、父からの大反対は続き、2年間「ダメだダメだ」の繰り返し。埒が明かず、会社に辞表を提出。社会人6年目になる時だった。
  • 彼は本当に政治家になりたかった。「なんとかより良い社会、日本、世界にしたい」という愚直さ、素直さは本物だと思った。本当に応援したいと思った。(親戚談)

秘書(東京時代)

秘書(東京時代)

秘書(東京時代)

  • 自ら退路を絶つことで父に納得してもらい、中曽根弘文事務所に入れてもらえることになった。
  • 1年目は東京において、主に地元市町村からの要請事項などについて関係省庁と折衝に当たる仕事や、自民党で行われる勉強会に毎日出席していた。また、父が会長を務める日米友好議員連盟を始めとする海外議会との友好議員連盟の運営に携わる。
  • 秘書という支える立場でありながら、自分が政治家になったときを常に意識をし、「自分だったらこうしよう」と考えながら仕事をしていた。

秘書(群馬時代)

秘書(群馬時代)

秘書(群馬時代)

  • 2年目からは群馬に。人と会って様々なお話を直接聞かせてもらえることが嬉しかった。また、改めて中曽根家が地元の方々から如何に支えられてたかを実感し、「群馬のために」という想いがより一層強くなった。
  • 群馬の好きなところは、空が広いところ。そして人が温かいところ。地域のコミュニティが非常に確立されているので、受け入れてもらうために努力を続けているが、ひとたび受け入れてもらえればとても温かい人たちが多い。
  • 若年層に対して政治を身近なものにしたいとずっと思っていた。自分を通して少しでも政治を身近に感じてもらえる様、積極的に若い世代に対してメッセージを発信していた。
  • 農業は本当に大変な仕事だと再認識。天候との戦い、重労働。高齢化が進み、この先大変な産業である。でも口に入れるものは何よりも大事。守りながらも攻める農業は何かと考えていた。
  • 高齢者の方と話す機会が増えたことで、孫やひ孫世代に何ができるのかを考えるようになった。医学の進歩により健康寿命が伸びることは素晴らしいが、支える人が不足しているのは問題だと感じた。介護士の仕事の尋常ではない大変さも知った。
  • 匠の技、こだわりを持った小さい素晴らしい会社が沢山あるのを知った。そのような会社が資金繰りや後継者不足で経営が成り立たなくなる状況を目のあたりにし、大変悔しいと感じた。税の優遇や補助金、それぞれの会社の強みを発揮ができる環境を整え、助けたいと思った。
  • 人の話をちゃんと聞く傾聴力。康弘さんに似ている。(親戚談)
  • 常にバランサーというイメージ。全体の空気の中で、帰着を求め、真ん中をどこかを理解しようとしている。(親戚談)
  • 普通の時は普通。場所に合わせてレベルが上がっていく。ステージが大きくなるほど、大きいことを言える。求められるレベルに対して求められることを意識せずにやっている。(友人談)

初当選

初当選

初当選

  • 4年間秘書として政治の世界で働いた後、2017年8月に自分の政治活動をスタートすることを表明し、父の事務所を退所。その直後の10月、衆議院選挙が行われ、自民党北関東比例区から初出馬。初当選を果たした。
  • 当選後、祖父のところに挨拶に行くと開口一番「歴史を勉強しろ」と言われた。その言葉に習い、日々勉強を続けていこうと思っている。

Policy
政策

未来への責任を果たす

子供たちにどういう日本を
残してあげられるか、
それは今を生きる我々大人たちの責任。
国難とも言える現状に対して、
日本の未来像をしっかりと描き、
具体的道筋を立てた上で
国家運営を行っていく、
これこそが私たち国会議員の
仕事だと考えています。

中曽根康隆 7つの政策 イメージ

中曽根康隆 7つの政策




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